論理と、幻想と。

ゲームやガジェットが好きなITスペシャリストが作ったものや考えたことについてダラダラ書きます

「俺のマシン」という私の信仰

お前のパソコンってはお前のマシンであって、俺のマシンではない。そんなもん知らんがな、と思うようなことがあったりなかったりしたので。

彼のマシン

ちょっと昔の話、私にバイクの楽しさを熱く語ってくれた友人がいました。彼はお金と時間と情熱をつぎ込んで、中古で買ってきた400ccのバイクを「俺のマシン」に仕上げるんだと意気込みカスタムを施して、それを上手に乗り回すことが何よりも楽しいと目を輝かせていました。ふわっとした言い方をすると「より強く」「より魅力的に」することに情熱的でした。買ってきた時点では、まだ所有権があるだけの「俺のバイク」です。そいつを自分にとって最良のパートナーとするために、よく知って、弄り回して、乗り回して、そして本当に自分のモノになった時に「俺のマシン」となり、強烈な愛着が湧く、と言う。

第三者から見れば不格好だったり、乗りにくそうに見えるカスタムかもしれない。けれど、彼にとってはそれが「俺のマシン」です。俺のマシンは俺のマシンであってお前のマシンではない。

私のようにノーマル車で満足できるのは、ある意味幸せなのかもしれないとも思います。金は掛からないし、滅多なトラブルも起こらない。何より、強烈な愛着というものがないので、困ったら手放して乗り換えることに対する心理的ハードルがほとんどない。

私のマシン

私はバイクにはあまり情熱的ではなかったけれど、コンピュータに関してはどうやらそうではなかったようです。今から十数年前、やはり親が買ってきたメーカー製パソコンのお下がりで遊んでいました。あれこれ触っているうちに、コンピュータひとつで実はなんでも出来てしまうんじゃないかという可能性に夢中になります。それを「より強く」「より魅力的」な「俺のマシン」にしたいと思い至るまでにそう時間は掛かりませんでした。

まずは日頃使うソフトウェアから、自分でより良いと思うものを探して選んで、OSより上のレイヤは徐々に「俺のマシン」になっていく。けれど、肝心のスペックがイマイチで何をするにも遅い。だから「より強く」したい、という欲求がだんだん湧いてくる。今度はハードウェアも「俺のマシン」にしたい。お小遣いやお年玉貯金なんかを引っ張り出してパーツを買ってみました。当然、小中学生の子供にとってはとても高価なシロモノなので簡単に壊してしまっては困るので、慎重に、けれど「これを俺のマシンにしよう」という確固たる意思を持って筐体のケースを開けます。

(私とパソコンについての話は本当に長くなるので機会を改めますが)紆余曲折を経て、パソコンに対する「俺のマシン」というイメージの原型というのは果たして完成します。

お前のパソコンはお前のマシン

ソフトウェアについてもハードウェアについてもそうで、本当にコントロールしたいと思うならまずは「俺のマシン」として手に馴染むものにすることを目指すのが一番良いです。もちろん、与えられたノーマルなもので不便をしないなら、それはそれで何も問題はありません。

けれど私がよく扱っているゲームの外部ツールなんていうのは例外的なもので、そもそものノーマルな状態というのを外れるために使われるという特徴があります。ノーマルを外れる以上は誰もが「俺のマシン」の一部としてコントロールしようとすべき性質のものだ、という信仰を持っています。根拠はないけれど。人によって必要とするものも、その重要度も全く違う。当然に動いている環境も全く違う。お前のマシンはお前のマシンであって、俺のマシンではない。


余談だけど

ゲームを通じて知り合った友人の中にも、そうしたツールをコントロールしようと試行錯誤を繰り返して「俺のマシン」の一部にしていく過程を楽しんでいる人がいます。私はその探究心に凄く惹かれた一方で、それを見た外野が好き勝手な野次を言うのも目の当たりにしました。しかし彼も、いや私もそうなんだけど、他人のものさしで測る善悪だとか、本当にその情報が必要かどうかとか、そういうのとは全く別の次元で遊んでいる。好きなことを言うのは勝手だし、確かに第三者から見れば不格好かもしれないけど、それが私や彼が使うマシンであって、お前が使うマシンではないことは、ゆめゆめ忘れないでほしいな、と。


今は本当に親切な時代なので、パソコンを買ってくれば最初から何でも用意してあったり、ちょっと検索すれば「◯◯をするためにはこのソフトをこうやって使うべし」なんていうインスタントな情報がいくらでも出てきます。けれど、それは誰かが見つけたベストであって、自分にとっても同様にベストな方法であるとは限らないし、そもそもその情報が書かれた時点と今では事情が全く異なる場合も多い。それに現代はアプリケーションの完成度が半端に上がりすぎて、「常に完璧なものが自動的に配信されているのが当たり前」という感覚さえ生まれてきているように思いますが、元より決してそういうものではない。納得いく結果が得られずにアテにならないなどと言う暇があれば、ければもっと良い方法を探したり、作ったりすればいい。そこは情熱の大小です。

当然にハードウェアはお金が掛かるから多少ハードルが上がるけれど、ソフトウェアに限ってはそれほどお金は掛からないし、物理的に壊れない限りはいくらでもトライアンドエラーが効く。失敗して初めて気付く視点がたくさんあります。何度だって失敗して覚えてみればいいと思う。そうして「俺のマシン」が段々できていく。

ここまで勢いで書き出してふっと気づいたけど、私が「俺のマシン」という言葉を使って明らかにしたかったのは、「使われている人」と「使いこなそうという人」の違いかもしれない。

(関連記事) blog.sheeva.me

余談:男の子の宿命

ジェンダー云々は置いといて、「俺のマシン」にしたがるのって男の子の宿命みたいなものだと思っています。おそらく私がそれに目覚めたのは、小学生の頃に大流行したミニ四駆だったのかな、と今にして思います。

お小遣いをやりくりして手に入れた車体を、より早く、よりカッコよくしたいと思ってあれこれカスタムしていました。数百円のパーツを買うのも苦労して、近所のショップで開かれる大会の入賞賞品として手に入れたりしていました。 パーツ選びもビルドも何度も失敗をします。性能を引き出せなかったり、そもそも取り付けられなかったり、時に壊してしまったり、そういう経験を何度も積んで、少年は自分の中で「これが俺の鉄板だ」というパーツの組み合わせを見つけます。別にそれがもっとも優れている、ということはなくて、自分の持っているパーツや知識の組み合わせの中で「しっくりくる」というだけのものです。言い換えれば「これが好き」なのかもしれない。でも、それが「俺のマシン」であって、一番愛着が湧く。今もまだ持ってるよ。

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