論理と、幻想と。

FFXIVやPCが好きなITスペシャリストの屁理屈とか

ITリテラシーと使い手としての矜持

最近はあらゆる分野でIT化が進んできて、「使えなければ困る」というものの割合が増えてきたように思います。PCやスマートフォンを持っていながら、それらに振り回されている人というのも少なくなく、いよいよITリテラシーの高低を避けて通れなくなってきたと実感しています。なので改めてITリテラシーとは何なのか、なんていうことを書き始めた次第です。

ITリテラシーとは一般的に、「知識を得る能力」と言われます。もともとリテラシーという言葉が識字力を意味するように、ITに関する知識を得るための土台となる能力そのものです。

私は元々IT業界が長く、周囲もだいたい同じような感覚を持った人が多かったので、最近までITリテラシーの高低を意識することはほとんどありませんでした。けれど、たまたま始めたゲームという大衆的な世界がITと密接に繋がっていて、そこにはまだまだITリテラシーの課題が多くあることを再認識しました。

最初に書いておくと、ITリテラシーが低いというのは何ら悪いことではないです。当たり前のことだと思います。私はITリテラシーは高い自信があるけれど、しかし例えば自動車やバイクのことだったり、法律のことには詳しくありません。詳しくなることは出来ると思うけれど、私にもそのモチベーションの根源となる興味があまりない。動機がないことに対して詳しくないのは当たり前かな、と。リテラシーが低い人たちがいるから、相対的にそういう人たちの手助けをする専門家の需要だって増える。

ITリテラシーの高低

人によって程度の差はあるけれど、ITリテラシーが高い人は、問題が発生した時にそれにどう対処すればよいかが分かります。仕組みがある程度わかっていれば、表面化した問題の原因におおよその当たりをつけることができる。いわゆる勘です。初めて遭遇する事象であっても、経験によって磨かれた直感によって、現象と知識を結びつけて仮説を立てることができる。これがITリテラシーが高い人がスムーズに問題解決をできるシンプルな理由だと思います。

一方で、ITリテラシーが低い人、よく自虐的に情弱などと言ったりするのを耳にしますが、そういう人たちは問題が発生した時にどうしてよいかが分からずパニックに陥ってしまうようです。初めて遭遇する事象に対して、仮説を立てる土台の知識や経験がない。あるいは何度も遭遇したことがあるけれど、理解しないままに何となくやり過ごしてしまった。それでは、知識や経験として蓄積されない。

両者の最大の違いは積極的な動機が伴うかどうか、だと思います。ITリテラシーが低い、という人はそもそもITにそれほど興味がないのではないかと思います。「興味もなければ、使えなくても困らない」という性質のものであれば、そこにリテラシーどうこうの話を持ち出す理由もありません。興味がないものに対するインプットは、味も分からないまま右から左へ流れていく。

けれど「使いたい」、あるいは「使えなければ困る」ものであれば、それらを自分のモノにするための最低限度のリテラシーはどうしても必要になってきます。自分のモノとして使いこなそうとすれば、興味だって疑問だって湧いてくる。興味を持ってはじめて、インプットされた情報を意味のある知識や経験として自身に蓄積することができる。

私はたまに「使い手としての矜持」という言葉でこうした側面を表現します。持たざる者に対して持つ者の矜持を押し付けるのはよろしくない。けれど持とうとするならば持つ者としての矜持はあって然るべきだと考えます。

知識を得る知恵

ITリテラシーを構成する要素のうち、知識が占める割合というのは実はとても小さく、大事なのは知恵、こちらのウェイトの方がはるかに大きいと思っています。

一見すると専門知識は浅そうなのに、難なく新しいものを使いこなしたり、作ったりすることが出来る人もたくさんいます。彼らは総じて、足りない知識をどうやって収集すれば良いかの目星をつける能力が高いんだと思います。ITリテラシーに関してだけ言えば、例えば自分が実現したいことを整理するのが上手だったり、あるいは検索の仕方が上手だったり、どんな人にどのように尋ねれば期待していた回答が得られるか、という勘が鋭かったり、そういう能力だったりします。

そういえば、私もブログを書くようになって、知らない方から質問を受けることが増えました。事の性質はどうあれ、頼りにしてもらえるのはとても嬉しいことです。ありがとうございます。自分はITリテラシーが低い、からといって投げ出すのではなく、それでも一歩踏み出して知ろうとしてみる人に対しては、キャパシティが許す限り誠実に対応をできるよう努めたいと思います。

余談:関係なくもなさそうな身の上話

私は趣味でMT車の原付バイクに10年ぐらい乗っていました。YAMAHAのYB-1という車種の2stのモデルです。こいつがよくトラブルを起こしました。「とりあえず乗れれば良い」ぐらいの認識で、積極的に知識を身に着けようとしなかった私は、トラブルが起こった時に「ショップに持っていくべきか、そこらへんのガソリンスタンドで何とかできるものか」の区別がつかなかった。けれどガソリンスタンドに持っていくと、そこには職業柄、自動車やバイクに詳しい人がいたりする。たまにバイク好きの友人にメンテナンスしてもらったりもした。彼らのアドバイスで何とかなってきたけれど、自分自身の積極的な動機が強くないこともあって、何となくやり過ごしてしまい、結局それは知識や経験にまで落とし込めていなかった。

10年以上前に生産終了したモデルということもあり、パーツの流通がほとんどなく、「とりあえず乗れれば良い」という自分にはメンテナンスし続けるコストが重くなってきたので、最近そいつを下取りに出して大人しくスクーターを買いました。「俺のマシンとして乗りこなしてやる!」と思っていれば、また少し違ったのかもしれません。

私の小さな野望と幻想

「自分の使っている道具のことなんだから、自分が知ろうとしなくてどうする」というのが正直な思いです。しかし前述の私のバイクの例もしかり、興味がないことに対してリテラシーの向上を図るなんていうのは土台無理な話です。

しかしITに関してはどうやらこの先の未来で、人の生活を豊かにするために欠かせない道具になりつつあるようです。仕事だけでなく、日常生活のあらゆる分野で避けて通れなくなる日がいつか来る。それらが自分たちにとって「あったら便利なもの」であるならば、知らぬ存ぜぬで投げ出すよりは、理解して使いこなせた方がきっと良い。それが「なくてはならないもの」であるならば、なおのことITリテラシーを正しく持とうとする使い手としての矜持が重要になります。

餅は餅屋、バイクのことはバイク屋、ITのことはIT屋に聞けばいい、それは事実だし、自分が専門家として何とか生きていけているのがその証左なのかもしれません。私はこれまで専門分野の最先端にばかり興味を持っていたけれど、今はITリテラシーが低い人たちが身を守れる知識と、それらをより活用するための知恵を得る手助けをする方向で仕事の幅を広げていきたい、なんてことを考えていたりします。

今はそうやって日銭を得ることができているし、そういう仕事の需要は向こうしばらくは尽きそうにありません。けれど、本当に正直なことを言うと、100年後だか200年後だか分からないけど、遠い将来に私のやっているような仕事の需要がなくなっていればいいなとも思っています。それは都合のいい幻想であることは分かっているけれど、誰もが当たり前に使い手としての矜持を持って、上手にITと付き合っていけるようになっている世の中だと思うので。